中国の神話の中には長寿と仙薬に関する記述が多くあり、私にとってもとても興味深いものです。
これら現代にも通じる健康長寿・生薬・漢方薬にまつわる故事・伝説をご紹介致します。
『十翁長寿の詩』(健康長寿の秘訣)
時の定かではない時代のある日、40歳余りと思われる男の旅人が一人海岸を歩いていて、前方からくる10人ほどの旅人と出会った。よく見ると、どの旅人もとうに100歳を超えているような翁であったが、非常に若々しく、賑やかに哄笑しながらあっという間に旅人に近づいてきた。旅人は10人の翁達の前にひざまずき、そして丁寧に教えを乞うた。『どのようにすれば、皆様方のように長寿が得られるのですか?』 すると翁達は、微笑みながら互いに顔を見合わせていたが、
一番目の翁、髭をひねりながら、「わしは酒・たばことは無縁でな」
二番目の翁、にっこり笑いながら、「食後の散歩じゃよ」
三番目の翁、しきりと首をうなづかせて、「食は淡白にしなされよ」
四番目の翁、杖をとんとん突きながら、「久しく車に乗らないなあ」
五番目の翁、衣服を整えながら、「自分のことは自分ですることじゃ」
六番目の翁、秘密を明かすように、「軽い運動を毎日続けることだよ」
七番目の翁、大きな鼻をこすりながら、「新鮮な空気が一番じゃ」
八番目の翁、赤い頬をなでながら、「日光浴で顔が真黒であろう」
九番目の翁、鬢の毛をなでながら、「早寝早起きが一番じゃよ」
十番目の翁は、双方の眉をキリッとあげながら、「心配事を無くすことだな」
このように10人の翁達は一言ずつ言い終わると、尋ねたその旅人に「達者でな!」といいおきスタスタ去って行ってしまった。
中国では、これを『十翁長寿の詩』として、古くから健康と長寿の格言としているのである。
参考文献:漢方故事千一夜・磯公昭著
『当帰(とうき)』
当帰は、セリ科の植物で、中国の当帰はカラトウキの根である。 昔から婦人科および産科の要薬であり、冷え性、貧血症、腹痛、月経不順などや更年期障害に用いていた。現在も、中国の南方各省 では、婦人が四十歳くらいを過ぎると、ひと月に二回くらい、一回で四~五日連続服用する習慣がある。当帰を主薬としている処方は非常に多くこの薬の名称について多くの伝説があった。
現在の甘粛省宕昌市一帯は、当時宕州といい、 白龍江の支流のほとりにある宕を中心として栄えたところである。 原生林に覆われた「大山」という名の山があり、山には各種の植物が自生していて、生薬の宝庫であった。しかも山は深く、人跡未踏の深山であった。
あるとき、この山の麓からほど遠くないところにある村の青年が集まって、町のうわさや村の娘たちのうわさに花を咲かせていた。そのうち誰が言い出したのか、いつのまにか、どこにでもよくあるように、青年同士の度胸くらべの話になっていた。
血気盛りの青年のことである。若者達は誰一人として後に引くこともなく、互いに自分の胆力の強さを誇張して、とうとう最後につかみ合いのけんかになるか、それともくじ引きでもして試胆会の順番を決めるしかなくなってしまった。
だれもが想像するように、誰が「大山」に入っていけるか、入ってきた者を青年たちの勝者とすることに決まった。
「よし、俺が行く」
静寂を破ったこの声の主の方に若者達の目はいっせいに走った。それは、結婚して一年もたた ない王勇という名の青年であった。
若者達は、声の主が日ごろ性格の温順な王勇だとわかると、口々にいった。
「王勇やめろョ」
「お前は女房がいるんだ。 馬鹿なことはするな」
男の友人は、彼の暴言ともいうべき言葉をたしなめ、無謀な行為を止めようとしたが、一 人のものが、
「へー、王勇、生意気いうな。お前が女房を残して山に行けるって!」
といって大声で笑った。
激怒した王勇は、キッとして立ち上がると、
「君子の一言、四頭立ての馬車でも追いつけないぞ!」 というが早いか、 友人達の押し止めるのも聞かず、いっきにわが家に向かって走った。 家に帰ると案の定、王勇の話を聞いた母と妻は、ロ々に反対した。王勇の頑固さに妻はとうとう泣き出してしまい、母は言葉をつくして王勇を諦めたが、男子の一言は変えられないとして、王勇は携行する衣服や食糧、弓矢、山刀などの用意をする始末であった。
すっかり支度ができ上がった王勇は、母と妻に向かい、自分の不孝をわびながら、 「もし私が、三年以内に帰ってこなかったら、 妻よ、それ以上私を待つことはない。 自由に して、新しい門と庭を得るが良い」
これだけいうと、母や妻の悲しむ声を残して、風のように出ていった。 夫の王勇に去られた妻の毎日は、それこそ、泣くことだけが日課のようになってしまったのである。
こうして、一年過ぎ、そして、またたくまに三年が過ぎ去った。
この三年の間、王勇からは何の便りもなく、王勇を見たというような風聞もなかった。 悲しみ にうちひしがれた妻は、生きる気持ちも消え失せ、精神は不安定となり、食事は喉を通らず、夜 は眠れず、とうとう漢方医のいう気虚血虚という病気になってしまった。 今でいう異常閉経である。 このような状態で、また半年ほどが過ぎた。
息子の王勇が家を出てからすでに三年半あまりが 過ぎ、その間、王勇の母は、毎日息子の帰る日を待ちながら、嫁の看病に明け暮れていた。 ある日、王勇の母は、ついに意を決して嫁に向かい、「もう三年以上も待ったが、風の便りも ない。生死もわからず、あるいは大山の野獣のために命を落としたのかもしれない。それならばもう・・・といって、再婚をすすめた。
はじめは頑として、最愛の夫のを信じて、いつまでも待っているといって再婚を拒み続けていた王勇の妻も、日が経つにしたがって元気をとりもどし、義母のいうとおり、夫の王勇はもう大山のどこかで白骨と化し、帰ってこないような気がしだした。 そして、義母の探してく れた人との再婚を承諾した。
だが、運命というものは、なぜにこのように冷たく、そして無慈悲なのであろうか。 義母にす すめられるままに再婚してまもなくのことであった。
ある日の夕方、高原の太陽は大山の端にかくれ、あたりは夜の冷たい空気に浸されるところであった。 突然、母と妻の名を呼ぶ王勇が扉の閉まる音とともに家に入ってきたのである。
あれほど待ちこがれていた王勇が、 今、わが家に帰ってきた。だが、王勇の見たものは部屋の隅に、我が母とも思えぬほど憔悴しきった老婆が一人、つくねんと椅子に腰をかけて、うつろな目で自分を見ているだけであった。 この三年半もの間、夢に見通しだった愛する妻の姿はど こにもなかった。
「これがわが家だろうか?これがわが母なのだろうか? 妻はどこへ行ったのだろうか?」
瞬時に、王勇はあらゆる疑問を自分に投げかけた。
この三年半の間に、急に年老いた母は、王勇を自分の前の椅子にかけさせると、王勇が出ていった後の生活苦、母の苦労、嫁であった王勇の妻が王勇を想いつづけた日々、そして病に倒れ た姿を話し、そして最後に、自分がすすめて再婚させたことを話した。
王勇は、母から妻の再婚を聞くと、全身が氷のように冷たくなったかと思うと、頭から足先ま で、真赤に焼けた長い針が突き抜けていくような強い衝撃をうけた。苦痛に泣き明かした王勇は、翌朝、手紙を友人に託して、今はすでに自分を離れていった最愛の妻に、自分が帰ってきたこと を知らせ、一度でいいからぜひ会ってくれることを心から願った。
一方、王勇の友人によってもたらされた手紙によって、王勇の帰宅を知った妻の驚きととまどいは何人にも想像もできないほどであったろう。
もとより、最愛の夫、王勇が必ず帰ってくることを願い、そして、それを信じ病気になるほど待ちわびていた妻は、この世で誰よりもいちばん愛していた王勇の帰ってきたことを知ると、驚きとともに、すでに再婚してしまった自分に対して叱責すると同時に、もう自由に王勇に会えなくなってしまった身を嘆くのだった。
それからしばらくの後、二人は母のとりはからいで会う機会を得た。 二人は、一言話すたびに泣いた。妻は、夫がなぜもう少し早く帰ってこなかったのかといっては嘆き、悲しみ、訴え、そして泣いた。夫は、自分が一人山中で、いかに妻のことを恋い偲んできたかをせつせつと伝えた。 だが、いま二人に残されているものは、泣くこと以外に何もなかった。
このときから、これまでいくらか快方に向かっていた妻の病は日増しに重くなっていった。 医師もただ嘆息するだけで、 これという良薬を持ち合わせていなかった。
このことは、いち早く王勇の耳に達した。王勇は、自分が大山から降りてくるとき持って帰った袋を思い出し、採集した薬草のうちの一つを友人に託して届けた。
一方、王勇の妻と再婚した某は、性格が実直で、思いやりのある初老の人で、妻との間に大きな年齢の開きがあった。 再婚したとはいえ、今日まで病身の妻をいたわり、看護に明け暮 れていたのである。 自分と再婚した妻の事情はすでに前々から王勇の母親から話を聞いて知っ ていたし、王勇の帰るまで預かる気持ちで妻に接していたのが妻にとっては、いや、王勇にとっても幸であった。 そして、王勇が帰ってきたことを知ったその日から、この初老の夫は、再び 王勇のもとに帰るよう、妻と王勇の母親にすすめていたのである。
王勇からもたらされた薬草の根を煎じて飲んでいた妻は、二、三日もすると体が快方に向かっていることがわかった。そしてしばらく飲みつづけるうちに完全に快復したのである。 それからほどないある日、王勇は五色で飾った馬に乗り、妻を迎えに鞭を振り上げていた。
この話から、この薬草の根は、宝州一帯の噂となり、全国に広まっていった。そして、これを聞いた人々は、夫を想う妻は、当然帰するところに帰すべきだとして、当帰と呼びはじめたのである。
中国語では、応当帰家 応当帰夫、応当帰婦の薬と称しており、この応当(インダン)という中国語が、日本語の当然という意味であることからも、この物語を語り伝えてきた人々の気持ちがわかろうというものである。
そして、現在もなお中国の多くの地方で語りつがれており、当帰の補血調経、活血化オ(血液や体液の循環を旺盛にして体内のあらゆる部分の鬱血状態をなくすこと)という作用は、多くの処方の主薬となり、あるいは補佐薬として広く使われているのである。
参考文献:漢方故事千一夜・磯公昭著